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竹内街道ガイド

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日本最古の「国道」竹内街道の歴史・概要

西暦613年、難波から飛鳥の都まで大きな道を作ったと日本書紀に記されています。

古から続くこの道は様々な役割を果たして来ました。

旧石器時代、石器の材料としてサヌカイト(讃岐石)をもとめて人々は二上山をめざした石の道として。
シルクロードの終着点に向かう最終行程として中国大陸や朝鮮半島の文化がもたらされた文化の道として。
聖徳太子信仰の中心地・叡福寺参り、大峰・高野・熊野・伊勢への参詣、西国三十三カ所巡礼の信仰の道として。
大和と河内を往来する商人たちによる物資交流の経済の道として。

この道が長い時代を経て「竹内街道」と呼ばれるようになりました。
竹内街道
竹内街道は、堺市の大小路から奈良県葛城市の長尾神社に至る全長約30kmの街道で、日本書紀に「推古天皇二十一年(613年)・・・難波ヨリ京(飛鳥)ニ至ル大道ヲ置ク」と記されたわが国最古の国道にあたります。古来から歴史の表舞台で重要な役割を果たしてきました。

この竹内街道は、奈良盆地を東西に横切る横大路につながっており、藤原京に京が移されてからも、積極的に使われ遣隋使の小野妹子や外国の使節団もこの道を通りました。また難波の港に着いた最新の文化や技術もこの道を通って飛鳥(シルクロードの終点地)へ運ばれ「外交の道」として栄えました。また聖徳太子信仰が盛んになるにつれて街道沿いにある聖徳太子御廟やそれを守る叡福寺が霊場となり「信仰の道」としてもにぎわいを見せていました。

江戸時代には、お伊勢参り、大峰詣、當麻詣などが盛んになり「宗教の道」として、街道沿いには道標が建てられ、旅籠や茶店などが軒を連ねました。

明治には、大阪南部が堺県となりやがて堺県が奈良県を併合すると物資を運ぶ「経済の道」として街道の重要性がましていきます。そのため竹内峠では大改修が行われました。その記念碑が今も峠の旧道に残されています。

時代とともに役割を変え姿を変えてきた竹内街道。そうしたうつろいのなかで、旧道沿いに残る道しるべや伊勢灯籠などが今もかつての街道のにぎわいを伝えています。